餞(はなむけ)の言葉(徳島県Sさんからのメール)

『 こんばんは。夜分に失礼致します。
先日のご供養ありがとうございました。当日は朝からザアザアぶりの雨でしたが、シトシト降る時間帯もあり「お清めの雨?ご供養していただく子供達の涙かなぁ?」なんて思っておりました。
姫路さんのお手紙拝見し安心しました。当日迄にお彼岸もあり、異常な食欲で「ご先祖様方かなぁ?今回ご供養して頂く子供達かなぁ。」って考えることもありました。
ご供養当日は瞑想が出来ないとわかっていたので、最後にどんな言葉をかけようかグルグル考えたりもしましたが、当日ふと頭に浮かんだのが『行ってらっしゃい』でした。自分でもしっくりきて驚いたのを思い出しました。明治時代の幼子が大きく成長するのがどれだけ難しく大変なのかと考えたりもしましたが、それと同時に、自分の子供がスクスクと成長している事に感謝だなと、五体満足で大きな病気もせず、毎日笑って『おやすみ』って言える事がありがたい事なのだと考えさせられました。
『あ~、生かされているんだなぁ。ご先祖様達が守って下さっているんだなぁ。』って心が溢れるくらい一杯になりました。
今回のご供養も星椎先生のお力でご供養して頂けた事に感謝です。ありがとうございました。 』

星椎水精氏のコメント:
「行ってらっしゃい」という先祖にかけた言葉は、この先祖たちにとっては非常に的確な言葉となった。今回、この人が浄霊依頼をした先祖は、共に生後すぐや1年ほどで亡くなっている明治時代の幼子だったが、彼らでも自力の成仏はほぼ不可能である。しかし、穢れがほとんどないため、浄霊してあげれば、すぐに転生の準備に入れる。今世では計画した人生は送れなかったが、浄霊して来世に行けることが、彼らの最大の喜びとなっている。「行ってらっしゃい」とは、まさに次の人生に送ってあげるための、餞(はなむけ)の言葉であった。
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