先祖供養と六文銭

『 アトランティス協会様
返信が大変遅くなって申し訳ありません。
体験談への掲載、お願いします。
今回は初めて「音楽葬」をしてみました。
(中略)
お供え物を送ることはできなかったのですが、音楽を流す用意ならできたので、当日、11時から11時半頃まで支障のない範囲で流しました。
(浄霊時の)遺族の参列は私のみという寂しさはありました。
このほか、今は廃線になっているM駅に浄霊当日だけ汽車が着いて、それに祖母が乗っていく印象や、三途の川を渡ろうとすると、星椎先生、姫路さん、ほかアトランティス協会様の方が見えましたが、祖母は、
「こんな紙の六文銭では渡れないではないか」
と困惑しながらも、許可され、無事渡っていくような印象もありました。
渡し賃の六文銭(お玉ぐし料)は、孫である私が払ったということですね。
浄霊すると、若返るとのことですが、まさにそうで、祖父母が結婚したときのような印象も多く見られました。夫(私から見て祖父)が先に亡くなってから、ずっと祖母は辛い思いを抱いていたのだろうな、と思いました。祖母が亡くなった時、笑っているような顔だったのも、先に浄霊を受けていた夫や母(私から見た祖父と曾祖母)が待っていたからかもしれません。
次回申し込みも後日行いますので、よろしくお願いします。 』

星椎水精氏のコメント:
この青年の感性は、非常に純粋なものがある。今回、先祖のために浄霊(先祖供養)の際の供物を送る予定だったが、多忙のため叶わなかった。だが、その気持ちは十分に先祖に伝わっている。
六文銭は、一般に棺に入れられる服装品で、三途の川を渡るために必要と思われているが、成仏とは関係ない。祖母の「こんな紙の六文銭では渡れないではないか」という困惑は、こんな僅かなお金で成仏させてもらえることへの戸惑いの言葉でもある。葬儀で数百万円、法要でも数十万という大金を使う割には、一向に成仏できないことと比べれば、戸惑うのも当然である。死んで初めて、自分の信じてきたことが虚構だったことに気づく。
お金があれば浄霊を受けられるわけではない。先祖のことを真剣に考え、助けたいと思うものしか受けられない、非常に神聖なものなのである。
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