目に見えない存在

霊が見えないのは、人間が試されているからである。見えない霊に対して、人間は一体どのような行動を起こすのかを、上では見ている。制限された肉体をどのように駆使し、或いはどのようにだますのかは、己の判断である。

人間の視野の周波数は、非常に幅が狭く、嗅覚も聴覚も、犬や猫などのペットより遥かに劣っている。これは、動物などは自分がいつ殺されるかわからないため、神経を研ぎ澄ませて五感をフルに活用していないといけない。しかし人間は科学の発達に伴い、それに頼って感覚を磨く必要が無くなってきたことで、かなり鈍感になっている。現代でも、特に無知なものほど、霊に対して否定したがる。しかし、幼いころの頭が柔軟な時期から、霊に対して正しい指導をすると、大人になっても正しい霊の判断が出来る。

現在のように、霊が見えるというだけで霊能者を名乗ったり、出来もしない供養を行ってお金を取る行為を、宗教法人と名のつくものは殆ど行っているようだ。彼らが本当に浄霊(成仏させること)が出来るのであれば、家族内の殺し合いなど、各家庭の悲劇は起きないはずである。事故や大病は、カルマや霊障が大きくなければ、ありえない。カルマの大きなものが生まれるのは、目に見えない先祖の霊に対して、一族が失礼なことばかりしてきたことが大きな原因である。

目に見えない先祖の霊に対して、尊敬をし、先祖を大切に扱うものは、ひいては自分を大切にする。自分を大切にするとは、先祖を敬うことであり、地球がくれた肉体というユニホームを大切にすることを意味する。すなわち、先祖を大切にし、地球に感謝する行為が、浄霊(先祖供養)である。

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