『 昨年は、祖母のご供養を執り行っていただきまして誠にありがとうございました。
私の両親が離婚してから、養子である父親とは疎遠になり、父親が再婚したことから必然的に父方の祖母の家に行くことも無くなっていきました。それでも私が幼い頃からお盆には祖母の家で過ごしたり遊んだりしていたので、気になって昨年のお盆に一人で父方の祖母の家に行ってみたところ、お墓に祖母の命日が刻まれていました。そこで亡くなったことを知りました。涙が出てきて、
「長らく気づいてあげれなくてごめんね。」
と、思いながら町を出るまで止まりませんでした。まさに祖母の気持ちだと思いました。
ご供養当日は瞑想することは出来ませんでしたが、ご供養が終わってから感覚的に数日間は祖母が私の近くに居てくれて、嬉しさや感謝を表現、伝えて続けてくれたという強い印象があります。祖母とは生前関わりがあったのでこのように、祖母がそこに居る様な感覚で気持ちを感じ取れたのかもしれません。とにかく、祖母が近くで喜んでいる、感謝している気持ちが可視化したように感じ取ることが出来ました。
この度は、祖母をご供養いただきまして誠にありがとうございました。
とても喜び感謝しております。ご供養、誠にありがとうございました。 』
星椎水精氏のコメント:
本人がしっかりと理解しているように、この涙は祖母の気持ちを表している。祖母が成仏できずに苦しんでいたことは、身近にいる身内ですら理解できてはいなかった。それに気づいてもらえた喜びがどれほど大きかったかが、文面からは伝わってくる。
疎遠になっていたこともあり、孫のこの人に対しては、かなり気にかけていたようである。通常、浄霊後にこれだけ先祖の存在を感じることは少ないのだが、よほど祖母との縁が深いのだろう。このような心のある供養が、いずれ自分の大きな力となる。
本人がしっかりと理解しているように、この涙は祖母の気持ちを表している。祖母が成仏できずに苦しんでいたことは、身近にいる身内ですら理解できてはいなかった。それに気づいてもらえた喜びがどれほど大きかったかが、文面からは伝わってくる。
疎遠になっていたこともあり、孫のこの人に対しては、かなり気にかけていたようである。通常、浄霊後にこれだけ先祖の存在を感じることは少ないのだが、よほど祖母との縁が深いのだろう。このような心のある供養が、いずれ自分の大きな力となる。