葬儀と浄霊

日本人は、形式がとても好きな人種である。葬儀にしても、数百万円も出して行う葬儀に満足している人がとても多いが、ではそこに、葬儀の真実の意味があるのだろうか。豪華な葬儀や法要に満足し、そこを真剣に考えてはいない人がほとんどである。死んだ霊達の視点がどうなのかを、もっと知らなくてはならない。

葬儀に際して、親族や参列者が涙を流すのは、亡くなった霊が憑依し、「悔しい!」とか「もっと生きたかった!」と嘆いているのである。この波動は、非常に強烈で、お悔やみに来た者達の意識を虜にしてしまう。葬儀を見てみると、その様子は千差万別である。

特に自殺や殺害、災害、交通事故に遭って亡くなったものたちなどは、その波動も強い。ガンなどの重病で亡くなっても、その葬儀は強烈なものを感じるだろう。当然、成仏の段階ではない。これに反し、老衰などの自然死での葬儀は、強烈に涙を流す場面が少ないようだ。

同調して涙を流すのは、霊が「自分の立場を理解して欲しい」と訴えているのであって、単なる同情で終わって欲しくはないと言っている。この世に未練があり、「もう一度、肉体に戻りたい」、或いは「苦しいから成仏させて欲しい」と願っているのである。そのような事も分からずに葬儀に出席すると、ちょっとした油断から、霊から憑依され、同じような事故か病で倒れ、或いは自殺願望となり、あっという間に死んでゆくのである。

成仏できる本当の葬儀は、今こちらで行っている浄霊(先祖供養)だけである。そこには、うれし涙はあっても、悔し涙は全くない。それは、浄霊が『魂の卒業式』だからである。

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