霊前で手を合わせたり、法要で故人のことを考えて涙を流したりすることは、誰でも一度は経験したことがあるだろう。「死んだのだから、悲しいのは当然だ」と思うかもしれないが、しかし、そこには深い意味があるのである。成仏できない霊たちは、生前の状態に戻る行為を試みて、自分の前に訪れた人たちにそのイメージを与える。そして、霊の悔しさを悲しみで伝える。この波動は非常に強烈で、生きている人の神経に振動を与える。振動を受けた悲しみのバイブレーションは、「涙」となって表現される。
したがって、霊前で涙を流すという行為は、実は霊が成仏していない何よりの証拠なのである。このことをしっかり理解すると、その家の家族や先祖が成仏できているかどうかが簡単に分かるだろう。法事の時に、悲しい感情が湧き出てきた場合、それは成仏されてはいないと判断できる。
対して、こちらで浄霊をしている家では、仮に大事な家族を失っても、葬儀では暗さや悲しみという感じはほとんどない。それは、亡くなった霊が、確実にこちらで成仏させてもらえることを理解しているからでもある。