最近、テレビなどでも頻繁に聞かれるようになったChatGPT(チャットGPT)だが、これは簡単に言えば、対話型のAI(人工知能)のチャットサービスである。高度なAI技術により、人間のように自然な会話が可能となる。具体的には、単純な質疑応答から、文章の作成、表計算、脚本や論文の作成から、悩み相談など多岐にわたる。このChatGPTの凄いところは、聞き手の状態に配慮した心遣いを感じさせるため、あたかも人を相手にしているような錯覚になる。この高性能なAIを無料でも使えることから、世界中で非常に話題となっている。
だが、良いことばかりではない。専門性の高い質問や正解のない質問には答えられないし、何より間違いが多い。注意しなければいけないのが、ChatGPTの言っていることが全て正しいと思いこんでしまう事だ。正確性に欠けているにも関わらず、もっともらしい回答をするため、予備知識がなければフェイクを鵜呑みにしてしまうだろう。ひと昔前のウィキペディアには、間違いや嘘が非常に多く書き込まれており、それを真実だと思い込んでいるものたちが大勢いたが、その状況によく似ている。発展途上という事もあるが、お金の流れを見た場合、このChatGPTにはいろいろな企業が膨大な投資しているため、それらの企業が優位なものに作られてしまう危険性があることを忘れてはならない。「社会のために」ななどとあたかも中立性があるように見せかけているが、結局はお金を出したもの、または権力者たちに都合のよいものに作られていくのは、まず間違いないだろう。
膨大な資金を背景に、これからAIの普及や進歩はますます加速してゆく。重要なのは、AIがどれだけすごいかという事ではなく、我々使う側の人間が、どれだけ依存するのかどうかである。相手がAIなのか、それとも新聞やテレビなのかどうかの違いであり、あくまでもツールであることを忘れてはいけない。最近では、着ていく服すらもChatGPTに相談するとテレビで言っていたが、このようになんでもかんでもAIに尋ねていると自分で考えなくなり、そのうち人間自体が不要になってゆく。これから先、AIに支配されてゆく社会になってゆくだろうが、AIにできないことをしたり、あるいは信念をもって動く人間しか生き残ってはいけない。その一つが、自分が今世生まれて来た役目を果たすこと、すなわち先祖の浄霊(先祖供養)である。浄霊を推進し、先祖と共に進める人が、この先の未来に生き残ってゆくだろう。