自殺願望と先祖供養

自殺願望は、本人の意思ではない。では誰の意思かというと、先祖の意思に他ならない。遡れば、戦国時代、その前後には自殺を美徳とした時代が日本には存在する。外国人は、これを「腹切り」と表現する。戦前から戦後にかけても、自決が大和魂の美徳と賞賛された。特攻隊もその一つであろう。
本人の自覚が、自分の壁を乗り越えられずマイナスの意識を招いたことにより、波動が先祖の自害と一致してしまう。或いは、マイナスの波動の場所へ行き、一瞬の気の緩みから同じ波動を持った魂と共に自害へと導かれる場合もある。
これらの一瞬の行動には、本人の意識が前を向いているのか、後ろを向いているのかが決定的な行動となってしまうようだ。一旦、その選択をした時には、取り返しのつかない道を選んでゆく。それからのパワーは、マイナスを帯び、プラスのために乗り越えるパワーがなくなってゆく。弱くなった魂は、自害を行った先祖霊、或いは浮遊霊に肉体を奪われ、廃人同様となってしまう。
山を登るときのパワーは大変なエネルギーが必要だが、足を滑らせ転落するのは、一瞬のことである。自殺願望は、この一瞬の隙からの先祖或いは浮遊霊の憑依を起こす原因となる。この一瞬の隙を作らないことも大切だが、先祖霊が憑依しているという自覚が必要だろう。その憑依を払うために、いろんな霊能者や宗教家たちに頼っては大変なことになり、何も解決が出来なくなってしまう。先祖に対して知らん顔するものは、そのような場所に相談する結果となるだろう。それは、自分の欲が強いために起こる現象で、自分の親族から、いずれ自殺願望のものが出るだろう。子供ができ、さらに孫が出来る頃、初めて思い知ることになる。これは、「自分さえ良かったら良い」というエゴから来ている。将来、自分が亡くなって成仏できないでいる時に、今度はどのような憑依を孫や子供にするというのだろうか。まさに、マイナスの歴史は繰り返し、その集積である自殺願望は、その家が絶家となるまで続く。

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