本物の浄霊と偽物との違い

浄霊という行為が、修業すれば誰にでも出来ると考えているものがいる。どれほど神聖なものかも理解せず、身の丈もわきまえずしているようだが、彼らはそれが、神罰を招く行為であることなど全く理解してはいないようだ。

軽々しく浄霊という言葉を使う偽者が非常に多いのだが、本物かどうかの判断には、まず、供養と称して浄霊以外の行為を要求するのは、偽者と見てよいだろう。例えば、仏壇やお墓などの新調を勧めたり、掛け軸を買わせるものなどがある。仏壇とかお墓は形があれば良いのであって、立て直したり買い直したりする必要はない。

要は、供養(浄霊)によって成仏させるか否かの一点である。しかも、一体の霊に対して一回で終わることが原則である。その場合、お墓や仏壇は関係ない。経典を読めとか、何回も法要を行う必要はない。自殺者であろうと、相当数の先祖霊であろうと関係なく、本物の浄霊は一体につき一回で終わる。一回で終わらなければ、偽物と判断して良い。特に、自殺者を浄霊出来るかがひとつのポイントになる。自殺者の本当の怖さを理解しているものほど、迂闊に手を出さない。自殺者や自縛霊を成仏させた時の状態は、憑依が外れるため、顔の表情が明るくなる。よくある心霊番組のように、泣いたり狂乱状態になったりするようなおどろおどろしさは微塵もなく、清々しさだけが残るのである。

本物の浄霊とは、どんなに遠く離れていても、一体に対して一度で終わる。本物と偽者を見分ける意識は、これからますます必要になってくる。現在の非常に混沌とした世界情勢では、こちらの浄霊が希望の光となる。目前の危機を察知している先祖たちが、それを必死で訴えている。

 

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