『 アトランティス協会様
昼間の日なたはこの時期にしては暑いですが、
明け方は肌寒くも感じるようになりましたね。
いつもご先祖さまのことご供養頂きましてありがとうございます。
会報を頂き、拝見することが出来ました。
お送りいただきましてありがとうございます。
書いてある通りでございますね。
私もそうだと思いますが、ご供養する見返りに良いことがある、と考えてしまうとご先祖さまのことが見えなくなります。
恥ずかしながら何度かそう念じたこともあり、そういう場合は上手くいくことはありません。
頭では分かっているのに、というくせにやってしまうのです。
この気持が抜けて腑に落ちるまでは、自問自答でした。
ご供養するのにご先祖さまの方を向いていない、ただ申し込んでいるだけだと気づくのには時間がかかりました。
そして、星椎先生がコラムでも書かれているように、気づくとお金が無くなり、供養が継続出来ない。むしろ、出来なくなるように、気づかずにそうさせられている、といった状態が怖くて、落ち着くことがありませんでした。
しかし今では、知らないし会ったこともないご先祖さまに対して、長い間待たされていることの苦しみを感じます。
それは、最近、父が亡くなったあとでより強くそう思うことになりました。
私は、自分が亡くなっても供養の順番は最後にまわります。
自分がご供養できなかったご先祖さまより先に成仏するつもりはありません。
一緒に苦しみながら待ち続けます。
だから一人でも多くご供養を続けたいですが、いつ出来なくなるのか分からない不安があります。この取れない不安はご先祖さまのものだと思っています。
生活は苦しいですし、遊ぶお金はありませんが、ご供養を続けるお金もどれくらい維持できるのかわかりません。
政府が変り、税金が軽減されて、手元にお金が残るようになるのか、わかりません。
それがあればもう少し進めることの出来ると期待するのですがどうなるでしょうか。
とにかく、今は目の前のことを必死にやっていくしかないですね。
それでは、またご連絡させていただきます。
時節柄体調の変化が起こりやすいのでご自愛いただきますことをお祈り申し上げます。 』
こちらで供養をすると、運気が上がったり、病気が治ったりするだろうと期待する人は多い。実際に供養後に家族や自分の病気が良くなったり、物事が良い方向へ進んだという人も多くいるが、統計的に見てもこれらの良い結果を得ている人は、無欲の人がほとんどである。先祖が苦しんでいたことを理解し、その先祖を助けてあげたいという先祖への無償の愛が、結果的に自分に返ってきているのである。困っている人に手を差し伸べ、「あなたを助けると、私に何をお返ししてくれますか」と言ってくるような人に対しては、助けてもらっても感謝もお礼もしたくはないのと同じである。要は、見えない先祖に対してどう対処するのか、どのような考えで行動を起こすのかを見られているのである。
健康だったりお金があったりすると、その時は不安が薄れてわからないが、お金がなくなったり自分の死を意識するようになった時、初めて先祖の気持ちが理解できるようになる。その時、浄霊がどれほど大事なものか、わかるはずである。先祖がされて嬉しいことを意識すれば、自然と無欲になってゆく。



