お遍路と先祖供養

最近では、またお遍路がブームになっているようだ。旅行会社による四国八十八ヶ所を歩くツアーが活況を見せているが、その数は年間20万人に上り、大変な数である。

中には、ご利益を求めたり、供養と称してお遍路をするものもいるようだが、弘法大師はお遍路をする事によって先祖供養が出来るとは言っていない。このお遍路は、罪深い人間のカルマを少しでも軽減させようと言う意味が含まれているのであって、先祖とは全く関係のないものである。

お遍路をする人たちの内情を覗いてみると、結構、家が無茶苦茶で荒れており、そのための現実逃避や旅行気分でのお遍路がほとんどで、いわば利己主義の段階である。それを修行だというものも多いが、間違いである。現実に与えられたのが本当の修行であって、旅をすることとは関係のないものである。いずれも、死が刻々と近づきつつある恐怖心を、少しでも軽減しようと焦るものたちばかりである。

本来、死は恐いものではなく、卒業であるから、恐くはないのである。しかし、現代人の多くが感じている死の恐怖の本質は、魂が成仏できない未来を見ており、その先にある魂の消滅を恐れているのである。信仰心も薄れ、形式での葬儀と言うものに満足している以上、その未来を変えることは難しいと言えるだろう。

のんびりとお遍路になって旅行している余裕はない。平和な時間は刻々となくなっている。一刻も早く、先祖の浄霊をするべきだろう。

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