こちらで行う先祖供養の基本的な考えとして、「供養はマラソン」と言っている。だが、実際の障害物は非常に険しく、山あり谷ありの苦労は必然のものとして存在する。それはまさに登山のようなものである。
供養の基本は、父親の①父方、②母方、母親の③父方、④母方と最低4家の浄霊が必要となり、結婚していれば相手方の先祖も加わり、最低8家以上となる。ここで重要なのは、父方母方のバランスである。どちらか一方だけ進めるとバランスが悪くなり、進んでいない方の先祖たちが暴れ出す。一旦暴れ出すと畳み掛けてき、子どもやペットなど弱いものが標的となるため、重々気をつけなければならない。
スムーズに供養が進む人もいれば、様々な障害によってなかなか出来ない人もいる。この障害物が多ければ多いほど、実はカルマの要素も含んでいる。アトランティス協会を見つけるだけでもひとつの進歩となる。次に供養を行い、父方が済み母方が済むと、カルマが同時にやってくる。縁のないものは両者が済むと遠ざかるか、あるいは少ししただけで音信不通となってゆく。縁のあるものが、こちらでのカルマを解消し始める。その頃には、山の頂(いただき)を感じ始め、非常に穏やかな気持ちになるだろう。
ただ厄介なのは、他の宗教団体に入っているものである。彼らは、自分の宗教が一番だと思っている。それで、肝心の供養(浄霊)ができていれば問題がないが、殆ど出来てはいない。それをまざまざと感じるのは、先祖や身内に自殺者が生じたときである。宗教をやっていても自殺者が出る、或いはガンのような重病で亡くなった人が出るということは、完全にその宗教が偽物であり、先祖が誰一人成仏できていない証拠なのである。「何年もお祈りを欠かさないように」と言うが、それは、その宗教の言い訳に過ぎない。一度の供養(浄霊)で成仏出来なければ、それは本物ではない証拠である。中には、こちらでの先祖供養(浄霊)で何も分からない人がいるが、それは本人に霊感がなかったり、の正しい霊に対する考えが出来ていない証拠で、本人のカルマが大きいと思ったほうが良い。
先祖に束縛されない心に大きな解放感を持つためには、浄霊(先祖供養)とカルマの解消が同時に進行するのが理想だが、全ての供養(浄霊)が終わると今度はカルマの大きさが分かる。それは、自分の性格の修正でもある。これを修正することが、一番難しいのかもしれない。とにかく、供養は「山あり谷あり」の登山のようなものである。不平不満は、供養の意味を成さない。