修行とは、ヨガを行ったり断食を行ったり、滝に打たれたり宗教に入ったりすることではない。むしろ、そういうことこそ、本当の修行とは相反していると言える。
修行と称し滝に打たれたものが、霊能者となり、狐狸の類の霊たちから間違った映像を見せられる。本人は、それを真実と思い込み、勘違いしているために、間違った方向で供養ごとを行い、途中で自分の失敗に気づくことも多い。
本当の修行とは、目の前に与えられた仕事や困難を、いかにクリアするかなのである。現代は、二足のわらじで生活を固めなければならないようになっている。一足目は、生活を確保するための仕事。二足目は、自分の精神状態を安定させる行いである。まずは基礎となる、この一足目をしっかりと行う必要がある。この土台から、二足目のわらじである精神状態の安定、つまり先祖の供養を行うのが、この地球での最短、最善の正しい修行の道となる。
この先に、霊障によって覆い隠されていた、自身のカルマが見えてくる。このカルマの解消こそが自分自身の今世の宿題であり、乗り越えるべき修行なのである。そのカルマの解消の最善が、「先祖の浄霊」ということになる。