一般の多くの人々は、死んだら地上をさ迷うことなく、天国に行けるものだと思っている。これは、何か根拠があるわけではなく、本人たちの「そうあって欲しい」という願望が強く出ているに過ぎない。しかし、現実はそうではなく、ドロドロとした沼地のような場所にたたずむ場合が多い。死後、まさか自分が、天国ではなく、そのような暗い場所に行くことになるとは、誰も知らないのである。現在、先祖を放置しているものたちがあまりにも多いが、いずれ自分もその先祖の一人になることを理解していない。つまり、現在の自分の行動が、そのまま自分に返ってくるのである。要するに、生きている間に先祖の浄霊(供養)をしないものは、自分も供養してもらえないのである。
そう考えた場合、供養の重要性がよくわかるはずである。自分のために供養するのではない。人(先祖)のためにしたことが、いずれ自分に返ってくるのである。例えるならば、水の張られた桶があり、自分の方にばかり水をかき集めようとすると、逆に水が端から逃げていってしまう。逆に、自分から水を押し出すと、回り巡って自分の方に返ってくる。これがお金であったり、供養の心だと考えるとイメージしやすいだろう。自分のことしか考えない都合の良いものは、結局はダメになってしまう、ということでもある。そのようなものが死んだら、沼地のような幽界で、消滅の恐怖に苛まれながら過ごすことになるだろう。