こちらでの先祖供養は、無欲でないと出来ないようになっている。それは、供養の真髄を行うからである。世の中には、金銭欲にまみれた偽物が非常に多い。無欲は人を助け、先祖を助け、自分を助ける。欲を強く持った人間は、一時は成功するかもしれないが、最後はエゴに発展して没落する。
最近では、先祖供養よりマイホームを建てることを優先したがために、急に生活が苦しくなったり、原因不明の病気に見舞われるケースが増えている。このように、先祖の訴えを無視し自分たちのことばかりを考えていると、家を建てるにしても、昔、井戸や墓所だったなどの悪い土地に導かれて、最悪の事態に陥ってゆく。
しかし、逆に自分のためではなく、先祖を助けるために1体でも無欲な心で供養を行うと、先祖もそれを認め、期待を込めて障りを最小限に抑えるようだ。そして、一生懸命に供養に励む姿を見た先祖が、応援をし始める。この一体感が、エネルギーを高め、肉体の老化を防ぐ要素にもなる。
いわば、本物の供養とは、山登りで例えれば近道を行くようなものである。アトランティス神の先祖供養は、千載一遇のチャンスである。これをチャンスと思わないものは、欲があまりにも強く、欲の重みによって道を誤る惧(おそ)れがある。そのチャンスに対して素通りするのは、霊感がなく供養する資格が全くないのである。目を閉じて心眼を磨かねば、本物を見失う。供養をして感謝されると、先祖が喜んでいるのが見えるし、供養した人もすがすがしく感じるだろう。この感謝の気持ちが、カルマを軽くする。そこに打算はなく、きれいな心を生むのである。強い欲は、将来の明るい兆しにブレーキをかけてしまう。そのことを分かるのは、大きな病気にかかって、あるいは事故を起こし、すべての財産を失ったときだろう。